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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和25年(う)123号 判決

被告人

長尾榮蔵

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中五〇日を本刑に算入する。

理由

弁護人田島政吉の控訴趣意第一点について。

しかし、原判決挙示の各証拠を綜合すれば、原判示第四の所論犯罪事実を認定するに充分である。しかるに、論旨は所論一〇万円は原判示第三所掲の一三万円の弁済のため、競馬で勝つて返済するから更に一〇万円貸してほしい旨を申し入れて借用し、現に競馬に使つたものであるから、その使途を詐つたものではない。元来競馬は賭事であつて、その勝敗は予断を許さないものである。固より何人と雖も必勝を期するのであるが、しかし、勝敗は時の運であつて、時に利なきことあるは、常識ある者の当然予期すべきところである。本件の被害者渋谷稔は銀行員で金銭の取引に通暁しているのであるから、競馬の如何なるものであるかは、常識上充分知悉していたものとせねばならない。されば稔自身も競馬によつて利得しようとして貸与したものと認むべきで、決して被害人の欺罔行為によつて錯誤に陥つたものとはいい難い、と主張する。勿論競馬の勝敗は、特別の事情が存しない限り、性質上偶然の輸えいに外ならないのであり、且つ一般大多数の賭者はその勝敗の判別力を有しないのが普通であるから、かような賭者については、勝敗の数は殆んど予期すべからざるものであることは洵に所論の通りであるが、又一方賭者の中には、競馬の事情に精通しておるとか、或は現に使用せる馬匹の性格を熟知しておるとか、その他特別の事情があつて、競馬の勝敗を容易に判別することができる者のあることも少くないことは屡々実例の教ゆるところであるから、勝敗の判別力を持たない者が、恰もそれを持つている者のように詐るにおいては、明らかに相手方を錯誤に陥らしむるに足る欺罔行為たるを失わないのである。されば、被告人が渋谷稔に対し、原判示のような事実のないのにかかわらず、故らさようなことを申し向けて、同人を信用せしめ、貸借名義の下に、判示金員の交付を受けたこと原審認定の如くなる以上、稔が錯誤に陥つたものでないとはいい難い筋合であるから、被告人の行為が、詐欺罪を構成すべきことは明瞭である。従つて競馬の勝敗が一般賭者において予断を許さないものであること、被告人が受領金を事実上競馬の賭金に使用したこと、被告者稔が競馬の性質を熟知している者であるというような事実は少しも本件詐欺罪の認定を妨ぐるものではない。又稔自身において、被告人と共に、競馬によつて利得しようとの意図があつたとの所論事実に至つては、原審の認定しないところであるのみならず、一件記録によるも、到底明認し難いところであるから、論旨は結局理由がないものといわねばならぬ。

(控訴趣意弁護人田島政吉の控訴趣意第一点)

原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。

原判決は

被告人は

第四 同二十四年中旬頃右渋谷稔方に於て同人に対し

「貴殿が至急金を返して貰い度いならば今金十万円貸してくれ只今荒尾競馬場で競馬が始まつて居て自分が正式馬券を買えば自分の馬も出場して居るから確実に儲かるし又自分が私設馬券を発行すれば馬主でもあり知合の騎手から話を聞いて勝馬の予想もつき必ず儲かると思うが今度の金十万円と前の金十三万円を一緖に払う」との旨申向け稔をしてその旨誤信せしめ被告人に金十万円を交付せしめ、貸借名義にて之を騙取したものである。

右の判示事実は

一、被告人の当公廷における同旨の供述

一、渋谷稔提出の始未書

を綜合して之を認める。

としているのであるが被告人は前の借用金十三万円を返済するために競馬で勝つて返済するから更に十万円を貸してほしい旨申入れて借用し競馬に使つたもので使途を詐つたものではない、元来競馬は賭事であつてその勝敗は予断を許さない、何人と雖も敗れることを望まず必勝を期するのである。然し乍ら常識ある者は勝敗時に利なきを予期するのであつて若し常に勝つものとすれば競馬はなり立たないであろう。

被害者渋谷稔は銀行員であつて金銭の取引に通じているのであるから競馬が如何なるものであるか常識上十分知つているものとせねばならないのであるから、むしろ自らも競馬によつて利を得ようとして貸与したものと謂うべく決して欺罔によつて錯誤に陥つたものとは言い難い。即ち、渋谷稔の検察官岡田藤太に対する供述調書中(昭和二十五年二月八日附供述調書第四中)

その時榮蔵は私に「貴殿が至急金を返して貰いたいならば金拾万円貸してくれ只今荒尾競馬場で競馬が始まつているので自分が正式馬券を買えば自分の馬も出場しているし確実に儲かるし又自分が私設馬券を発行すれば馬主でもあり知合の騎手から話をきけば勝馬の予想もつき必ず儲ると思うからその金で今囘の十万円と前の十三万円を一緖に支払う」と申しました。

との記載によつて察知出来る。

被告人が渋谷稔に申向けたところは確実に儲ると思う、と言い或は必ず儲ると思う、と言つたのであつていずれも予想乃至は期待を語つたに過ぎない。

およそ欺罔行為は通常人を錯誤に陥らしめるに足る程度のものでなければならず(昭和二十一年(れ)第五四九号同年十二月十四日大審院第二刑事部判決)その程度は一般社会観念によつて決せらるべきものである。

右の通り渋谷稔は錯誤に陥つていないのであるから被告人は同人より金拾万円を貸借名義で騙取したものと断ずることはできない。却つて民事上の債務不履行であると言うべきであるから原判決は甚だしく事実を誤認して居りその誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決はこの点において破棄を免れない。

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